東京地方裁判所 平成5年(行ウ)22号 判決 1999年4月28日
原告
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
清水恵一郎
同
中野麻美
同
宮本智
被告
中央労働基準監督署長嶋田龍
右訴訟代理人弁護士
間中彦次
右指定代理人
岩田光生
同
飯山義雄
同
坂田稔三
同
本間文男
同
津田昌宏
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が原告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき、昭和五八年九月八日付けでした遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を取り消す。
第二事案の概要
本件は、ハイヤー運転手として勤務していた甲野太郎(以下「太郎」という。)が業務に従事中に死亡したのは、業務に起因するものであるとして、同人の妻である原告が、労災保険法に基づき、被告に遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが、被告から本件処分を受けたため、その取消しを求めている事案である。
一 前提事実
以下の事実は、当事者間に争いがないか又は括弧内記載の証拠によって認めることができる。
1 太郎(昭和二年七月二三日生)は、昭和三九年一一月五日帝都自動車交通株式会社(以下「会社」という。)に雇用され、昭和四〇年三月二一日東京都千代田区所在の会社日比谷営業所(以下「営業所」という。)に配属され、以来営業所においてハイヤー運転手として勤務していた。
2 太郎は、昭和五六年(以下、特に断らない限り、昭和五六年を指す。)五月二三日、ハイヤーに乗客を乗せて関越自動車道を東京方面に向かって走行中、午後四時五三分ころ、埼玉県川越市<以下略>付近において、突然ハンドルから手を離し、あごが上がった状態で意識を失った(以下「本件発症」という。)。これを見た乗客が車を停止させ、大丈夫ですかと声をかけながらリクライニングシートを倒して太郎のネクタイを緩めてやると、同人は一時エンジンをかけようとする動作をしたが、救急隊が現場に到着した午後五時五分ころには既に仮死状態に陥っていた。その後、太郎は、心臓マッサージ及び蘇生器を用いた人工呼吸を受けながら救急車で東京都清瀬市所在の織本病院に搬送されたが、右病院に到着した午後五時五五分ころには既に死亡していた(死亡当時五三歳)。なお、本件について、死後の病理解剖は行われていない。(<証拠略>)
3 原告は、太郎の死亡は業務に起因するものであるとして、労災保険法に基づき、被告に対し、遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが、被告は、昭和五八年九月八日付けで本件処分をした。原告は、これを不服として、東京労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、平成元年六月八日付けで棄却の決定を受け、更に労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、平成四年一〇月三日付けで棄却の裁決を受けた。
二 主たる争点
1 太郎の死亡の原因となった疾病、すなわち死因は何か。
2 太郎の死亡には業務起因性があるか。
三 当事者の主張
1 原告の主張の骨子
(一) 太郎は、自律神経の変調による交感神経緊張又は副交感神経緊張のための致死的不整脈の結果、心臓突然死に至ったものであり、仮にそうでないとしても心筋梗塞によって死亡したものである。
(二) 太郎における致死的不整脈ないし心筋梗塞の発症は、次に述べるような太郎の不規則な勤務と運転業務そのものにより生じたもので、その死亡には業務起因性がある。
ハイヤーの運転業務は、一般道路という危険性の高い場所における、極めて長時間の、夜間・深夜労働を伴う運転労働であること、賃金形態が営業収入歩合制であること、冷暖房による不自然な環境に置かれることなどが相まって、運転労働者の健康破壊を促進するものである。しかも、ハイヤー運転手においては、タクシー運転手のように空車中常に道路左側端に注意を払い、客を探すという神経を使わなくて済むが、その代わり、得意先の関係者であることが多い乗客への応対に気配りをし、不快感を与えないように心懸けながら安全運転を励行しなければならないので、その肉体的、精神的疲労度は、想像を絶するものがある。
さらに、太郎の勤務状況を具体的に見ると、営業所のハイヤー運転手の勤務形態は、不規則かつ長時間の拘束を特徴とし、特に、二日連続して勤務が割り当てられる二連続勤務は、初日の勤務と二日目の勤務の間が短いと実質的には四八時間連続勤務に等しく、二連続勤務の後に公休日が一日しかないときは、更に休息が制約されることになる。そして、太郎は、五月の連休明けに集中して二連続勤務をしているものであって、このうち、初日の勤務と二日目の勤務の間が三時間程度しかないことが四回あり、本件発症当日もほとんど仮眠を取る時間もなく早朝に出庫しているものである。しかも、本件発症当日は汗ばむ陽気で、連日の長時間の拘束により十分な休息を取ることができなかった太郎にとって、体調を崩しやすい気象条件であったといえる。
以上によれば、本件発症前の太郎の業務は極めて過重なものであったということができ、太郎の死亡が業務に起因するものであることは明らかである。
2 被告の主張の骨子
(一) 太郎は、基礎疾患を前提としない致死的不整脈、すなわち特発性心室細動によって死亡したものである。最新の医学的知見によれば、特発性心室細動の発生機序は遺伝子の作用によるもので、その基質を有する者については、いつ何時でも致死的不整脈が発生する可能性があるとされている。
(二) ある疾病について業務起因性を認めるためには、業務と疾病との間に相当因果関係があることが必要であり、その前提として、業務と疾病との間に条件関係があることが必要であるが、特発性心室細動が前記のような性質を有する疾病であることからすれば、太郎の死亡については、そもそも、業務起因性の前提となる条件関係を認めることができない。
仮に相当因果関係のレベルで考えるとしても、業務と疾病との間に相当因果関係を認めるためには、当該疾病が当該業務に内在ないし通常随伴する危険が現実化したものであることが必要であり、当該疾病の発症に業務以外の有害因子(遺伝的因子、環境的因子、これらによって形成される基礎疾患、素因等)が存在する場合は、当該疾病の発症に対し、業務上の因子が他の原因と比較して相対的に有力な原因となっていることが必要である。特に、脳心疾患は、発症の基礎となる動脈硬化等による血管病変等の基礎疾患の形成・悪化について業務自体が直接関与することはなく、加齢や一般生活等における諸種の要因が基礎疾患の増悪に関与するものであるから、脳心疾患について業務起因性を認めるためには、業務上の過重負荷によって基礎疾患が自然的経過を超えて急激に著しく増悪し、その結果発症したものであることが必要である。そして、業務が基礎疾患を自然的経過を超えて急激に著しく増悪させるような過重なものであるかどうかは、通常の業務を支障なく遂行できる程度の健康状態にある労働者を基準として判断すべきである。
太郎の勤務状況は、本件発症前三か月間、同じく一週間、本件発症前日、本件発症当日のいずれをとっても、同僚運転手と比較してほぼ同程度か、むしろ軽度のもので、本件発症前日からの勤務内容には余裕があり、休養も十分取れていたから、太郎の業務が過重負荷となって本件発症に対し有力原因として寄与したとはいえず、太郎の死亡が業務に起因するものでないことは明らかである。
第三当裁判所の判断
一 争点1(太郎の死因)について
1 証拠(<証拠・人証略>、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、生前の太郎の身体の状況について、以下の事実が認められる。
(一) 太郎は、生前、会社が毎年二回実施する一般健康診断を受けていたが、昭和五四年一一月九日、昭和五五年四月三日、同年一〇月二日、昭和五六年四月三日実施の各健康診断において、聴打診、視力、胸部エックス線検査、尿(糖、蛋白)のいずれについても異常はなく、血圧についても、昭和五五年四月三日測定の最高血圧一六〇を除き、いずれも正常値を示していた。
(二) 昭和五四年三月一日、太郎は、首都高速道路を運転中に悪心を自覚し、慶應義塾大学病院の救急外来に受診したが、その際、診察中に立位で嘔吐した。
なお、太郎に心窩部痛、腹痛等はなく、理学的所見及び神経学的所見に異常はなく、血圧も正常値であり、急性胃腸炎と診断された。
(三) 同月一二日、太郎は、財団法人慶応健康セ(ママ)ンターで人間ドックを受診したところ、心電図検査では、安静時の心電図において、右側胸部誘導のST上昇及びQRS波の右脚ブロック(不完全右脚ブロック)が認められたが、運動負荷試験の結果は陰性であった。
なお、右人間ドックにおける検査項目は、体測検査、血液検査、臨床化学検査、検尿、検便、心機能検査、肺機能検査、眼底検査、耳鼻咽喉検査、胸部レントゲン検査、消化管・胆のうレントゲン検査、外科、整形外科及び血圧測定の各項目にわたっていたが、心電図における前記検査結果のほかは、高脂血症、空腹時における血糖値がやや高いこと、老人性白内障及び胃下垂の四点が指摘されたのみで、すべての検査結果について正常ないし異常なしの判定がされた。
(四) 太郎は、昭和五四年一一月から本件発症の時期までの間、千葉県船橋市所在の高根木戸診療所に通院して、次のとおり、意識障害等の病名で治療を受けた。
すなわち、同月一六日意識障害の治療薬であるシスリコンの投与を受けたのを初め、同月中に四回、翌昭和五五年二月に二回、同診療所に通院して投薬治療を受けた(診療報酬明細書記載の病名は、脳溢血(意識障害)兼高脂血症(高血圧))。さらに、同年一〇月五日、シスリコンの投与を受けたのを初め、同月中に三回、翌一一月から昭和五六年四月までの間は、同年一月を除き毎月一回、同診療所に通院して投薬治療を受けた(診療報酬明細書記載の病名は、意識障害(心不全)。昭和五六年三月分及び四月分では、これに高血圧症が加わっている。)。
2 証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によれば、医学上の知見として、以下の事実が認められる。
(一) 不整脈とは、正常洞調律以外のすべての異常調律をいうが、その病態の重症度は様々であり、危険な不整脈と考えられるものとしては、(1) 致死的不整脈(直ちに治療を行わないとそれ自体で心臓突然死を起こすもの)、(2) 警告不整脈(致死的不整脈に移行する可能性のあるもの)、(3) 心不全状態を惹起する可能性のある不整脈の三種に分けられる。
(二) 不整脈を生ずる基礎疾患には、心筋梗塞を初めとする冠動脈疾患、拡張型あるいは肥大型心筋症、心臓弁膜疾患、先天性心疾患、心筋炎、高血圧、その他の代謝性疾患等が含まれるが、基礎疾患のない場合にも不整脈は生じ、基礎疾患がなくて一過性に致死的不整脈が生ずることは、最近の研究から明らかにされており、この中に特発性心室細動と呼ばれる疾患群が存在する。
(三) 特発性心室細動の概要は、次のとおりである。
(1) 特発性心室細動は、表面上は健康な若年ないし中年層の男性に多く生ずる、基礎疾患がないのに突然死を来す、致死的不整脈の一つである。
(2) 国立循環器センターでは、特発性心室細動について、心電図学的特徴などから、<1> ST上昇型(洞調律時の右側胸部誘導で持続的なST上昇を認める特発性心室細動)、<2> RVOT型(右室流出路起源の多形性心室頻拍から心室細動へ移行する特発性心室細動)、<3> short-coupled PVC型(短連結期の心室性期外収縮をきっかけに多形性心室頻拍から心室細動へ移行する特発性心室細動)の三つのグループに分類している。このうち、ST上昇型は、非発作時の一二誘導心電図において右側胸部誘導でST上昇が認められるもので、ST上昇は、発作の前後だけでなく常に存在し、冠血管の攣縮とは無関係であることが冠動脈造影時のエルゴノビン負荷試験で証明されている。ST上昇型においては、ST上昇と同時に、QRS波の右脚ブロック様パターンを示すことが多い。
(3) 一九九二年にブルガダ(Brugada)らが特発性心室細動の中で独立した一つの臨床及び心電図学的特徴を持った症候群(ブルガダ症候群)として報告したものは、このST上昇型に分類されるものであり、その臨床学的特徴は、心室細動が一過性でかつ反復して生じることである。また、限られた症例ではあるが、ST上昇型は、成人男性に多く見られることも特徴であり、ブルガダらが報告した八症例のうち成人例五例(平均年齢四三・四才(ママ))はすべて男性であった。
(4) これら特発性心室細動の発症には、交感神経活性の亢進ではなく、副交感神経(迷走神経)活性の亢進が深く関与しているが、副交感神経活性の亢進は、一般的には、リラックスしたような場合に起こることが多い。これに対し、心筋梗塞等の基礎疾患のある場合の不整脈の出現には、交感神経活性の亢進が関与している場合が多い。
(5) 特発性心室細動のような一過性の致死的不整脈が生ずると意識が消失するが、心室細動が停止すると、再び正常の洞調律に戻るから意識が回復して身体の一部を動かすことが可能になる。しかし、再び特発性心室細動が生ずると、意識も再び消失するという関係になる。
(6) 特発性心室細動についての現在の医学研究者における理解としては、特発性心室細動の発症は、外界の日常であるとか仕事であるとかの影響を受けない、その人の内的な基質に由来するものである、というのが一般的であり、特発性心室細動の基質を持つ者については、致死的不整脈を防止することは、植え込み型の除細動器を使用するほかないと考えられている。
(四) 心筋梗塞の概要は、次のとおりである。
(1) 心筋梗塞は、心室筋を灌流している冠動脈の完全閉塞により、当該冠動脈末梢の支配領域にある心筋が壊死することにより発症する。
(2) 冠動脈の完全閉塞を生ずる病態は様々である。冠動脈硬化が既に存在している症例で急性心筋梗塞が生ずることが多いが、中には、冠動脈の動脈硬化が存在しなくとも持続時間の長い冠動脈攣縮による冠動脈閉塞で急性心筋梗塞が生ずることはあり得る。しかし、多くの場合、この両者の関与が一般的であり、冠動脈硬化の存在下に冠動脈攣縮を繰り返して心筋梗塞を発症する例がほとんどである。
(3) 一般に動脈硬化とは、動脈壁の病的な硬化・肥厚の総称であり、これによる動脈の機能不全を動脈硬化症という。動脈硬化は、病理学的には、<1> 粥状硬化、<2> 細動脈硬化、<3> 中膜硬化に分けられる。
(4) 動脈硬化に影響を与える因子としては、高脂血症、高血圧、喫煙、糖尿病、肥満、高尿酸血症、運動不足、ストレス、年齢、性別(性ホルモン、経口避妊薬)、家族集積性、コーヒー、社会心理学的要因などが代表的なものである。
(5) 一般的に、不安定狭心症から急性心筋梗塞に移行したり、冠動脈攣縮を繰り返して急性心筋梗塞が発症する場合には、胸部絞扼感や胸痛を自覚するところから、「胸が苦しい」「胸が痛い」と訴えることが多い。特に、致死的な心室性不整脈を生ずるような心筋梗塞では、かなり広範な心筋壊死を生ずることが指摘されており、この場合には、不整脈発生前に強い自覚症状があると考えられる。
3 証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によれば、太郎の死因についての東邦大学医学部第三内科助教授杉薫医師(以下「杉医師」という。)の意見は、次のとおりであることが認められる。
(一) 昭和五四年三月一二日財団法人慶応健康セ(ママ)ンターで行われた人間ドックの検査結果では、太郎の安静時の心電図において、右側胸部誘導のST上昇及びQRS波の右脚ブロックが認められたが、これは、特発性心室細動の心電図学的特徴と一致する。
(二) 本件発症時の太郎の状態は、その経過から見て、一過性の心室細動(致死的不整脈)が発生して突然意識を消失した後、いったん心室細動が停止して正常の洞調律に戻り、意識が回復した状態を表しているものと理解することができる。
(三) 過去においても、太郎は、昭和五四年一一月から本件発症の時期までの間に高根木戸診療所において意識障害等の病名で治療を受けるなど、反復して意識障害を起こしているが、他に特別な異常所見が見当たらないことからすると、これら事実からも、太郎には器質的な基礎疾患がなくて意識障害を生じる病態が存したものと考えられる。
(四) 太郎は、昭和五四年三月一日運転中に悪心を自覚し、慶應義塾大学病院で受診中に立位で嘔吐しているが、副交感神経活性が亢進すると悪心、嘔吐が起こることはよく知られているから、同人の場合、運転中に副交感神経活性が亢進することがあったものと考えられる。
(五) 本件発症時点で太郎が心筋梗塞を起こしていたならば、胸部絞扼感や胸痛など、心筋梗塞による胸部の自覚症状を訴えているはずであるが、そのような事実は見当たらない。なお、前記のとおり、本件発症時において、太郎は、いったん心室細動が停止して正常の洞調律に戻ったものと理解することができるが、心筋梗塞に合併した心室細動では、自然には正常洞調律に戻らないのが一般である。
(六) 以上によれば、太郎は、心筋梗塞などの器質的な心疾患とは関係のない、特発性心室細動によって心臓突然死に至ったものと考えられる。
4 以上の認定事実及び杉医師の意見を併せ考えると、本件発症、したがってまた、太郎の死亡は、基礎疾患がないのに突然死を来す致死的不整脈の一つである特発性心室細動によるものであって、心筋梗塞によるものではないことが認められ、右認定に反する死亡診断書(<証拠略>)の死亡原因欄の記載(「心筋梗塞症」)は、採用することができない。
二 争点2(太郎の死亡の業務起因性)について
1 前記一のとおり、太郎の死亡は特発性心室細動によるものであるところ、特発性心室細動の発症には、副交感神経(迷走神経)活性の亢進が深く関与しているが、副交感神経活性の亢進は、一般的に、リラックスしたような場合に起こることが多いこと、特発性心室細動の発症は、外界の日常であるとか仕事であるとかの影響を受けない、その人の内的な基質に由来するものであるというのが現在の医学研究者における一般的な理解であり、特発性心室細動の基質を持つ者については、致死的不整脈を防止することは、植え込み型の除細動器を使用するほかないと考えられていることも、前記説示のとおりである。そうすると、太郎の死因である特発性心室細動のこのような特質からして、太郎の死亡と業務との事実的因果関係(条件関係)そのものを肯定することは困難であって、この点で、本件については業務起因性が否定されざるを得ないものというべきである。
もっとも、証拠(<証拠・人証略>)によれば、港勤労者医療協会東京社会医学研究センター医師松村浩生は、太郎は、仮眠からさめた直後であるという状況からもたらされる交感神経緊張が重なって心臓突然死を起こしやすい状態にあった旨の意見を述べていることが認められるが、特発性心室細動の発症には、交感神経活性の亢進ではなく、副交感神経(迷走神経)活性の亢進が深く関与していること(前記一2(三)(4))、太郎は、過去の運転中に悪心を自覚し、その後嘔吐した事実があったことから、同人の場合、運転中に副交感神経活性が亢進することがあったものと考えられること(同3(四))などの点に照らすと、右意見は採用することができず、他に前記結論を左右するに足りる証拠は見当たらない。
2(一) しかしながら、以下においては、太郎の死亡と業務との事実的因果関係(条件関係)の有無についての前記の結論をさておき、一応、本件発症前の太郎の業務が過重といえるものであったか否かについても、検討を加えることとする。
(二) 証拠(<証拠・人証略>)によれば、営業所のハイヤー運転手の勤務形態及び太郎の勤務状況について、以下の事実が認められる。
(1) ハイヤー運転手の拘束時間は、午前八時三〇分(始業)から翌日午前一時(終業)までを一勤務日とする一六時間三〇分で、うち断続的に四時間三〇分の休憩時間があり、一勤務日当たりの所定労働時間は一二時間、一か月当たりの所定勤務日数は一五日(月間所定労働時間一八〇時間)ないし一六日(同じく一九二時間)である。太郎が所属していた労働組合と会社との間で締結された労働基準法三六条に基づく協定によれば、時間外労働については、一勤務日当たり七時間三〇分、四週間につき八八時間を、休日労働については、二週間につき一回を、それぞれ超えないものとされていた。
ハイヤー運転手に対する勤務の割当ては、一班一〇名で構成される五つの班ごとに、一か月単位で勤務日を指定した一年分の勤務表を年度初めに作成し、これによって行われていた。勤務表の作成に当たっては、各班、従って各運転手が年間を通して公平に勤務できるよう配慮され、勤務日が二日連続する、いわゆる二連続勤務については、一か月当たり四ないし七回の割合で割当てがされていた。
ハイヤー運転手に対する配車(乗務の割り振り)は、あらかじめチャーター業務に就くことが決まっている者を除き、各運転手が出勤順に車両番号札を上げ、その順に配車をする、いわゆる札番システムに従って行われ、出庫して帰庫後、次の乗務までの間は、営業所にある休憩室(畳九畳)などにおいて待機ないし休憩をするようになっていた。また、太郎が乗務する車両は、第一勧業銀行本店のチャーター車とされていたことから、そのチャーター業務(おおむね午前九時ころから午後六時ころまで)に就く場合には、第一勧業銀行本店において、同本店の自家用車や他のハイヤー会社のチャーター車と共に札番システムに従って乗務し、乗務の順番が来るまでの間は、運転者控室などにおいて待機ないし休憩をし、チャーター業務終了後は営業所に戻り、営業所の札番システムに従って乗務することになっていた。二連続勤務の割当てがされた場合は、初日の業務終了後、営業所にある仮眠室(二段ベッド一五台)で仮眠を取ることができるようになっていた。
(2) 本件発症前約三か月間(二月二〇日から五月二二日までの間)の太郎の勤務状況は、おおむね別表<略>(一)ないし(四)のとおりである。
このうち、別表(一)ないし(三)は、それぞれ、三月度(二月二〇日から三月二〇日までの間)、四月度(三月二一日から四月一九日までの間)及び五月度(四月二〇日から五月二〇日までの間)における太郎及び同人と同年齢層の同僚四人の勤務状況を一か月単位でまとめたものであり、別表(四)は、五月度及び六月度(五月二一日から二三日まで)の太郎の勤務状況を一日単位で表したものである。
なお、別表(一)ないし(三)中の「ハンドル時間」とは、乗務のための出庫から帰庫までの時間をいい、車中での手待ち時間もこれに含まれるが、営業所の休憩室、チャーター先やゴルフ場における運転者控え(ママ)室など、休憩施設での待機時間はこれに含まれない。別表(四)中の「出庫時刻」とは、勤務日における最初の乗務のために営業所を出た時刻であり、「帰庫時刻」とは、勤務日における最後の乗務から営業所に戻って来た時刻を指す。「早出時間」とは、出庫時刻が午前八時三〇分(始業時刻)より前である場合において、出庫時刻から午前八時三〇分までのハンドル時間をいい、「残業時間」とは、帰庫時刻が午前一時(終業時刻)を過ぎた場合において、午前一時から帰庫時刻までのハンドル時間をいう。また、「深夜時間」とは、出庫時刻が午前五時より前であるか又は帰庫時刻が午後一〇時を過ぎた場合において、出庫時刻から午前五時までのハンドル時間と午後一〇時から帰庫時刻までのハンドル時間を合計した時間を指す。
(3) 太郎は、五月二〇日の勤務が明けた翌二一日は明け番で勤務に就かず、翌二二日は、午前九時三〇分から午後五時三〇分までの間、第一勧業銀行本店でのチャーター業務に従事し、その後は営業所に戻って三回乗務し、翌二三日午前一時五〇分ころ最後の乗務を終えて帰庫した。この日の太郎のハンドル時間は延べ五時間であった。
五月二三日、太郎は、かねて予約を受けていた横浜市在住の顧客二名を埼玉県入間郡日高町(現入間市)所在のゴルフ場(高麗川カントリークラブ)まで送迎することになっていたので、前日からの勤務を終えて帰庫した後、営業所の従業員に対し、あらかじめ、指定の時間に起こすように依頼して、仮眠室で仮眠を取った。太郎は、午前四時ころ営業所を出庫し、横浜市内の指定場所で顧客を乗せた上、関越自動車道を経由して午前八時一五分ころ右ゴルフ場に到着して顧客を下車させ、そのままプレー終了までの約八時間の間、同所で待機したが、この間、ゴルフ場の運転手控室などで休息することは太郎の自由に任せられていた。その後、太郎は、顧客を乗せて、午後四時ころ帰路についたが、午後四時五三分ころ、鶴ヶ島インターチェンジから関越自動車道に入って約一〇分間走行した地点で突然意識を失い、前記認定の経緯で死亡するに至った。
(三) 以上の認定事実によれば、三月度及び四月度の太郎の勤務状況は同僚並みであり、五月度についても、四月末までに限ってみれば、特に過重な勤務とはいえないが、五月一日から四日までの連休が明けた後、本件発症に至るまでの間は、二連続勤務がほぼ一日おきに六回続いており、初日の勤務と二日目の勤務の間の休息期間は十分なものとはいい難く、四月末までと比べて業務による負担が増大したことは否定できない。
しかしながら、五月五日以降本件発症までの一三勤務日中、ハンドル時間が七時間を超えたのは四勤務日に過ぎず、また、二連続勤務の両勤務日ともハンドル時間が七時間を超えた五月八、九日の勤務についてみても、証拠(<証拠略>)によれば、二日目の業務はゴルフ場への送迎業務であり、乗客のプレー終了までの間、約八時間三〇分の待機時間があったことが認められるから、この間の勤務状況は、全体として必ずしも高い労働密度であったわけではなく、本件発症当日についても、二連続勤務の二日目で、前日の勤務との間に十分な仮眠を取るだけの休息時間があったとはいえないものの、前日のハンドル時間は断続的に五時間と短く、本件発症当日の業務もゴルフ場への送迎業務であり、ゴルフ場までの四時間余りの運転を終えた後は、帰路につくまでの約八時間の間、前記のとおり、ゴルフ場の運転手控室などで休息することは太郎の自由に任されていたのである。
このような事実関係の下では、本件発症前の太郎の業務をもって過重というにはいまだ足りないものであって、この点からも、本件については、太郎の死亡について業務起因性を肯定することは困難であるといわざるを得ない。
三 結論
以上の次第であるから、本件処分は適法であって、原告の本訴請求は理由がないので、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(口頭弁論の終結の日 平成一〇年一二月一七日)
(裁判長裁判官 福岡右武 裁判官 矢尾和子 裁判官 西理香)